わたしたちはあらゆるものから自由でありたいとねがっています。いま生物学の最前線で流行している述語を借りていえば、わたしたちは精一杯「ゆらぎ」たいとねがっています。ところがどなたもごぞんじのように、このねがいはほとんどかなえられることはありません。それほどまではげしく自由でありたいとねがっているのに、わたしたちは四方八方から束縛されて生きてゆかなければならないのです。そこでわたしたちは、なんとかして「ゆらぎ」の余地をのこしながら、同時に必要な束縛は受け入れて生きようと思います。このことに成功すれば、束縛は協調という言葉にかわるでしょう。つまりより良く生きるということは、束縛を協調の線に押しとどめておいて、そのうえ各人がそれぞれの個性を生かしながら充分にゆらいでみせることだ、といっていいでしょう。
(数行略)
右の事情は芝居にもそっくりあてはまります。役者たちもまた作者や演出家や作曲家や装置家や振付師や照明家や衣装担当者から十重二十重に束縛されています。彼等は果してそれらの束縛と協調して、自分の個性を、持ち味をゆらゆらとゆらがせることができるでしょうか。(「the座」3号 一九八五年一月/『日本人のへそ』)
『演劇ってなんだろう』井上ひさし