君や僕にちょっと似ている

最近想像すると落ち着く絵 を現実でも描いた

記事タイトルは奈良美智さんの展覧会のタイトルからパクっております。観に行ってないけど(ないんかい)タイトルが好き。

コロナウイルスの実質自粛明け以降の話。

基本的に世間や社会があまり得意ではないので引きこもりが苦でなく家にいましょうと言ってもらえて時間がたっぷりあるのは私は個人的には幸せであった。

今はもう実質自粛開けで社会というやつがふつうに機能しててそれは私にはしんどいときがあるのだ。便利も買い物も好きなのに(今は外に喜んで出ています)本当に身勝手だな。とは思いますがしんどいものはしんどいのでそこは受け止めてよしとする。その先を人任せにしなければよし。

そういう時には体の中心がハート型にぱかっと開いて空洞にしてるのを想像すると安心する。でもこれをやる割合が多すぎたら自分のSOSだと思ったほうがよいと思う。だいたい生活の1/3くらいを超えるとだめな気がする。

1/3ってなんとなくの体感の数値だけど24時間中でいうと8時間で1日の労働時間だな。ストレスなく労働するかその時間内にストレスを収めるのができないと人間によくないのかもしれん。

私はそんなに働いてないけどにぎやかさとか喧騒とか日常のなにかがなんとも思ってないけど実はストレスってこともあるんだろうから気をつけてね私。

「私はあなたではない。あなたは私ではない。」っていうのめちゃくちゃ当然あたりまえのことなのに生きてるとなぜか忘れる。それも気をつけてほしい。私は私だから安心してね私!

だからなお他人だけどちょっと似ているとかが嬉しくなるんだろう。

私のストレスはなんか作ったりそれをここで日記書いたりすることで解消してるんだろうな。と思ったらほんのりとウレシーです。ね!🥳

(全て個人の見解です)

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